英検は英語学習者の敵か?

The Japan Timesに「英検は日本の学習者にはむしろ悪い影響を与えているか」という記事が出ていた。私なりに要約する。英検のテストには、英検の公式サイトを含めその妥当性・信頼性の担保が提示されていないという。国際的にも日本人の英語力は低いという調査結果もあり、日本国内では、英語は共通語としての役割を果たしていない。実際の問題を見てみると、例えば、英検1級の語彙問題は難度が高く、一方でリスニングが不自然に遅く、スピーキングも従来の機械的準備が可能で、総じて「受験英語」なのである。むしろスマートフォンを使うなど代替の学習があるのだから、この予定調和的な試験は刷新される必要に迫られている、という内容である。 結論から言うと、この記事には賛成できかねない。そもそも英検が英語学習者にとって悪であるという妥当性がない。記事に登場する人物は、TOEIC受験で実社会に照準を合わせた英語勉強方法をした結果、高得点が取れたいうが、それは英検受験でも同じではないのか。もちろん英検にも問題形式と傾向があり、そのための戦術は存在する。しかし、そうしたテクニックだけではすぐに限界が来る。例えば、英検1級合格を目指して英検準1級の力で戦術を駆使しても無理である。本物の力が必要であることは自身の経験からも、また、多少英検のことを分かっていればすぐに気づくことである。実践的に基本事項を繰り返すことは、言語習得の王道である。英検の出題は、改良の余地はあるものの、現存の試験の中では、最もバランスを良く4技能を測り、汎用性・知名度においても信頼性が高いのである。 日本人が他国に比べて英語が出来ないという事実に

クレームという名のブーメラン

クレーム社会である。お金を払えば何をしても許されるといったクレーマーが多い。モンスターという接頭辞がついた流行語もある。そうした過度なサービスを求めることは、結局自分を苦しめることに他ならないことを当事者は気づかない。 ある消費者の「主張」が仕組みの大勢を動かすような理不尽なものであったときのロジックは面倒だ。もしその要求に屈した場合、それ以降の要求にどう折り合いをつけるかを考えなければならない。「クレーム」はどれほど困難であっても簡単に妥協できないのだ。 社会がそうしたクレームを当たり前の「権利」だと謝って流布されてしまえば、いたるところでクレーム対応に追われることになる。休日にクレームを言っていた人間は、翌日の出勤日にはその立場を完全に失っている。 クレーム社会は、サービスの質を向上させない。いかにクレームをつけられないかに神経を尖らせ、穏便に過ごす方法論を追求することになる。客、保護者、患者、利用者、…。サービスの需要と供給のあり方を考える時期に来ている。

テロとグローバリゼーション

今年に入ってテロが各地で頻発している。パリの同時多発テロからベルギー連続テロ、日本人も巻き込まれたバングラデシュテロなど、終わりが見えない状況である。フランスのトラック暴走テロでは、監視下でない人物が日常の乗り物を凶器にした点で衝撃を与えている。その背景にある社会心理は何か。 グローバリゼーションという言葉が使われて久しい。インターネット技術が発達し、情報は瞬時に世界を駆け回る。公共輸送機関が発達し、人間の行き来は国境を超えている。世界は「1つ」に向かっているように見える。一方で、イギリスがEUから脱退した。賛成派は国家主権や移民反対を主な理由に掲げた。日本でも、一部ではあるがヘイトスピーチなど排他的言動が目立つことがある。 メジャーな動きが起こるとき、その裏で相容れないマイナーな流れが生じる。例えば、ネットユーザーは、現実世界でグローバル化に乗り切れなかった不満をナショナリズムという形で噴出させている。イデオロギーに支配される中で、自分の主張をテロという形で過激に表現することは、グローバル化の負の側面だと言える。 しかし、それはもちろんテロを正当化する理由にはなりえない。無関係な人々の命を奪うことは、人間として最低の行為だ。我々が目指すべきは、自他を認め合う気持ちを持つことだろう。広がる世界の中で、違いを尊重する言動を心掛けるべきである。

参議院選挙 2016 争点に気づけ!

2016年7月10日は、第24回参院選選挙だ。選挙権が18歳以上に引き上げられて初めての国政選挙である。しかし、それ以外は、どうも議論が熟さず、不明瞭だ。特に、東京都では、舛添前知事が金銭の不祥事があり、選挙に対する有権者の姿勢は複雑だ。 政策論争の焦点が混沌としている。いや、ぼやかされている。保守系の新聞では、アベノミクスの是非が問われる選挙であることを強調している。野党は、なりふりかまわず他党と共闘し、当選することを第一目標にしている。 こうした動きの根底は、すなわち、本当の争点は、憲法改正である。「アベノミクス」は、良し悪しはともかく、政策として継続されることは間違い。しかし、憲法改正は、議席の数によって今後の手続きが変わり、最終的には国民投票にたどり着く。しかし、与党はこれを争点にすることが危険を伴うことを承知している。従って、首相は議論の場ではほとんど触れてない。なぜなら、前回の国政選挙で、この野心を隠し、経済を争点に掲げることで議席を獲得できることを経験的に分かっているからである。 自分にとって不利な事案を触れないのは戦略しては間違っていない。しかし、国民は、同じ手法に騙されてはいけない。選挙で隠された論点と真実を見抜くべきだ。それができなければ、安保法関連法案通過時の国会前のデモのようになってしまう。気づいたら戦場にいたというのは愚の骨頂なのである。

ラーメン食べ歩き紀行(5) 代々木商店   〜優しいサービスの横浜家系ラーメン〜

横浜家系にハマり始めて始めてから訪れたお店だが、今でも上位に来るお勧めの店舗である。 特筆すべきは、第一にうまいこと。ある意味、一番大切な要素が欠けていない。 かなり濃いめの味だが、横浜家系のがっつりした濃厚な味に、くせのない麺が適量に入っている。 自由に使える調味料も豊富でネギがあるのがおもしろいところだ。 トッピングの値段も量の不満はない。 また、サービスが非常に良い。 ラーメンでは、男臭い雰囲気の多い中、女性が接客をしてくださり、アメニティーなど細かいところまで気を使ってくれる。 (当時は)1歳の子どもがいるが、十分には配慮をしてくださり、店員さんが子どもに笑顔で笑ってくれるところに雰囲気の良さを感じた。 テーブル席もあるが、他の店舗より広いので子ども連れでもゆっくりできるのも嬉しい。 食後は、近くにデパートも多いので休日には嬉しいロケーションでもある。 ただ、個人的にはもう少しうす味だと嬉しい。 あとは、せっかく美味しいのだから、もう少し広い店舗になると快適だ。 それはともかく王道の横浜家系のラーメンを家族づれで楽しめるお勧めのお店だ。

地方に生きる

最近、若者の中で地方移住の回帰があるという。もちろん田舎の暮らしにはビジネスや生活を営むにはいくつかのデメリットがある。しかし一方で、インターネットや新幹線の新設などに伴って新しい地域社会を創造しようとする傾向もある。そこには、コミュニティーを新たに構築していこうとする大きな気概が見える。 もっとも過疎化した田舎や地方は必ずしも存続の危機に晒されているわけではない。人口が減少していっても、ある一定のラインを超えたときに、そこには定住者の復興の動きが働くからだ。逆に、都会は人の数は増えているが、そこで起こっている人間的なつながりは乏しく、皮肉にも都会こそが「過疎化」していると考えられるかもしれない。 地方移住に覚悟は必要だ。第一に、仕事だ。都会にくらべ求人数も賃金もビジネスチャンスも不利な点は否めない。また、そのコミュニティーに溶け込めるかはその特性に依るところも大きいだろう。異なる環境に入ることは簡単なことではない。 ただ、1ついえることは、地方移住で輝いている方々は、その地域を良くしようという社会貢献の精神が強い。その地域のために何が出来るかを真剣に考えているのだ。そういった気持ちが新天地での豊かな生活の要因の1つであることは間違いないだろう。 参考文献 早稲田大学校友会、(2016) 『早稲田学報 4月号』「地方にいきるということ」

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