大晦日 2016

つい最近、初詣に行ったような気がしたが、今年も今日で最後だ。年を取る度に時間が立つのが早いような気がする。仕事も休日もあっという間だ。これは良いことなのか、悪いことなのか。とにかくそれぞれが負うものがあって、日々に余裕がないからなのは確かだろう。 今年も世の中は様々な出来事や変化があった。日本では、熊本震災で50人以上が亡くなった。これだけ技術医療が発達しても人間は自然の前では無力だ。政治も日々変化があった。18歳選挙権施行によって高校生の一部が日本の政治に参加することになったのも大きい。東京都知事の辞職で誕生した小池新しい都知事は、従来の政策からの脱却を目指している。英語教育もまだ途上ではあるものの、文法・読解中心の偏った受験英語からバランスの良い4技能習得に向けて少しずつ舵を切っている。 世界を見れば、政策や思想な大きな方向転換が見られた。アメリカ大統領選挙やイギリスのEU離脱などはグローバリズムとは真逆のベクトルである。テロとの戦いも含めて戦争は我々のすぐ背後に忍び寄っているのかもしれない。人は歴史を繰り返すのか。それとも歴史から学ぶのか。 個人的には、今年は辛かったが充実した年だったと思う。目標を達成することは大きな自信と飛躍につながる。見ている風景は何も変わらない。本当に大切なことは目に見えないが、苦労した分だけ大きく成長出来た。本当に支えてくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいである。だから、少しずつ恩返しをしていきたいと思っている。それでは、みなさん、よいお年を。

今年の漢字 2016

日本漢字能力検定が今年の漢字を「金」として発表した。一般公募でおよそ1ヶ月の募集であったが、浅はかな印象だ。「多くのメダルに勇気づけられた」といった類の理由では、4年後の漢字も「金」になるかもしれない。別に今に始まったことではないが、政治家の汚職も含めて選びやすいのだったのだろう。 私が今年の世相を表すものとしては、「離」を選びたい。小池百合子新都知事就任は五輪などで既定路線から離れた改革を目指している。世界に目を向けてもイギリスのEU離脱やアメリカ大統領選挙の投票結果は、グローバル化から離れるベクトルの暗示だ。また、日本の芸能界は不倫や解散で離別が印象に残った年でもある。 さて、ここからはGHF’03から続いている毎年恒例の「私の今年の漢字」シリーズ 2008年「転」 2009年「停」 2010年「躍」 2011年「結」 2012年「蓄」 2013年「修」 2014年「再」 2015年 「二」 やはり人生最大の目標が達成されたことだ。合格という二文字のために必死の努力をしてきた。”Everything that has a beginning ahas an end”であり、改めて人生の”Anything essential is invisible to the eyes”だと確信した。また、高校3年生の担任であり、生徒の進路に向けて合格に向けて苦心した1年だった。今年は人生の節目であった「合」の字で決まりである。 2016年 「合」 みなさんの今年の漢字は何だろうか? ※参考文献 日本漢字検定協会HP GHF'03 (2008〜2014)「誰かが一言」

限定的「安楽死」を!

先日、私に英語を指南してくださった方の奥様が病気で亡くなられた。その壮絶な闘病生活を見聞き限りでは、日本には「尊厳死」だけではなく「安楽死」も認めるべきではないかという気持ちが込み上げてくる。実際、ヨーロッパやアメリカでは安楽死が認められているところもある。 「安楽死」の利点としては、余命僅かの患者が過度の心身、および金銭的負担を軽くできることが挙げられる。健常者には想像を絶する苦痛の先に治癒がないのであれば、終わらせてあげたいと思うの家族の気持ちもある。生きる権利があるならば、人生の最期を選ぶ権利もあると主張する人もいるだろう。一方で、問題点として、殺人ほう助の可能性が挙げられる。僅かな希望を諦めてしまう治療家庭での問題も挙げられる。人為的であるために、医療の現場で倫理的に苦しむ人なども出てくるだろう。 そこで正当な理由のもとに限定的に「安楽死」を認めるべきである。第一に、医学的観点から医者が末期患者であることの証明を必須とする。第二に、行政書士等が法律及び社会通念上の観点から問題のないことを地方自治体に代理申請する。最後に、ケアマネジャーやカウンセラー等の「安楽死」の特別な資格を持った専門家が本人及び家族と意思確認をし、総合的かつ独立的に判断を下すことである。 死生観の問題は、宗教や個別の事情に鑑みると非常に難しい問題である。しかし、議論が一向に進まない中で絶望に苦しんでいる人がいると思うとどうにもやりきれないのである。最初は非常に限定的なものでも良い。「自殺」でもなく「他殺」でもない「安楽死」の概念が求められているのだ。

「神ってる?」

12月になるとその年の出来事を振り返ることが多い。例えば、ユーキャンが行う流行語対象もその一つだ。過去の受賞は、その年を思い出すものが多い。「ワイルドだろぉ。」(2012年)、「お・も・て・な・し!」(2013年)、「ダメよ〜、ダメダメ。」(2014年)。 今年も豊作だったように思う。「ゲス不倫」や「文春砲」など週刊誌の不倫暴露は世間を賑わせた。「PPAP」はYouTubeでの動画再生回数が8億(2016年12月現在)という世界的大ヒットとなった。「ポケGO」が発売された日には、近くの公園でガジェットを持った人が大量に歩いている異様な光景を覚えている。これらの言葉は、ほぼほぼ見聞きしたことがあるのではないだろうか。 個人的には「ポケGO」と「PPAP」が大賞だと思った。誰も傷つことのないハッピーな語だからだ。しかし、結局大賞は「神ってる」であった。たまたまなのか、聞いたことがなかった。どうやら野球用語らしい。昨年の「トリプルスリー」(2015年)といい、2年連続で野球用語ということは、公平に決められているのか疑問である。裏で何かが動いているのだろうか。 ちなみに、三省堂書店の「今年の新語 2016」の大賞は「ほぼほぼ」だ。これなら聞いたことがあるような?いずれにしても、流行語大賞の権威が落ちないように、この機会に使っておこう。 「神ってる」 大賞取って 流行ってる

「総合的な学習の時間」の必要性・可能性・課題 (Revised Ver.)

キーワード:知識基盤社会、「学力」と移行支援、教育理念 ■はじめに 平成10年の学習指導要領改定で導入された「総合的な学習の時間」は、学力論争による教育方針の転換等によって、その教育理念・展望が不明瞭になる危険性を孕んでいる。しかし、学習指導案が明記する「基礎的・基本的知識・技能の習得とその活用する力の育成」は、現在の激しく変化する知識基盤社会において子どもの社会貢献と将来の社会での自己実現を導くためにも、「総合的な学習の時間」が学校教育で意味を持って機能することが求められている。 ■「総合的な学習の時間」の必要性 知識基盤社会が子どもに与える教育的影響は大きい。現在の日本は、従来の農耕型社会、工業化社会から消費社会へと変貌し、職場中心の正統的周辺参加から意図的・計画的な学校教育へと変貌した。しかし、受験戦争に代表されるように知識・技術の偏重は、実生活で求められる人間的な素養・能力の側面を軽視する傾向があった。高橋(2002)は、こうした流れを人間学的視点から子どもの成育環境状況が農耕型社会の「ミメーシス・パラダイス」、工業型社会の「開発パラダイム」を経て、現在は、消費型社会の「自己選択パラダイム」であると整理し、子どもは人材育成を主眼にした工業化社会的な学校教育観の下に「プログラム化された教育を受け、プログラム化された走路を走っている」からこそ、子どもの他者との関わり合いが重要であると述べている。このような考え方は、他の教育分野においても盛んに叫ばれていることであり、例えば、キャリア教育が抱えるニートや引きこもりといった社会問題は、子どもの基礎的・汎用能力を育成することで、子

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