想像を超える宇宙

宇宙は神秘だ。宇宙がいつ誕生し、どのような進化したのか。宇宙の法則を記述できたならば、私たちの過去・現在・未来が見通せるかもしれない。しかし、空間と時間というのは、私たちの想像をはるか超えた存在なのかもしれない。 ホーキング博士は、長い間そうした宇宙物理学を研究している世界的第一人者である。1990年に日本のNHKホールで「ブラックホールとベビーユニバース」という題名の講演したが、その内容が面白い。素人が簡潔にまとめると、ブラックホールでは、量子力学の不確定性原理を導入すると光より速く動くことでそこから抜け出せるとともに、そこに落ちた粒子がベビーユニバースと呼ばれるトンネルのような空間を通って別のブラックホースから出てくる、というのである。 この発想力は、凡人のそれをはるかに凌駕している。一般的に光より速いものはないとされるアインシュタインの相対性理論に、量子力学を導入して高速を超えた現象を作り出すことや、時間の観念に虚時間、すなわち、時間概念に虚数iを掛け合わせるといったことだ。これらの概念が真実であったならば、やはり宇宙の本当の姿は、人間の脳の機能では認識できないものなのかもしれない。 内側があれば外側があると考えるのが当たり前だと思っていた。でも、宇宙には外側がないのかもしれない。更に言えば、宇宙の始まりといっても、実は時間自体が直線的でない可能性もある。夜の空を見上げるとロマンが無限大に広がっているのだろう。 ※参考文献:スティーヴン・W・ホーキング、(1990)『ホーキングの最新宇宙理論』

早稲田大学のイメージ戦略

早慶戦といえば、早稲田大学と慶應大学がプライドを掛けた大学スポーツの花形だ。私大の雄は、しかし、受験業界においては差が開いている。AREAによると、2014年度に早稲田と慶應の法学部の両方に合格した学生の9割が慶応を選んでいるという。他学部でも似たような現象が起きているそうだ。 かつての早稲田といえば、自由で反骨精神を持った苦学生が全国から集まるイメージだろう。今はその面影はあまり見当たらない。学生はそこそこおしゃれに着飾り、大学も伝統の校舎を改築し、ITを駆使した少人数制の授業ときめ細やかな教育サービスを提供している。アジア重視を含んだ中期計画「WASEDA VISION 150」もその一環なのだろう。 近年の大学全入時代の中で、限られたパイを取り合う競争が熾烈を極めてる。とりわけ早稲田大学は、スーパーフリー事件や小保方氏の捏造疑惑等で世間の厳しい目が向けられている。急激な凋落は可能性としては低いものの、広報はカッコ悪いと強がる時代ではなくなってしまったようである。個性を打ち出すための早稲田大学のメージ戦略は進行形なのだろう。 ただし、女子学生の比率は慶應大学よりも上だ。「ワセジョ」(早稲田の女子学生のニックネーム)は今も昔も確固たる自分を持っている。「ワセダン」にも負けず劣らずの強い信念と自負は今も普遍である。 ※参考文献:AREA、(2015.1.26)

労働時間の短縮を目指せ!

オーストラリアのパースでは日本のように悠長に買い物ができない時間帯がある。それは夕方だ。閉店前になれば、奥から強面のスタッフが出てきて追い出される。だから、閉店後にお客が残っていることはない。仕事は時間内にきっちり終わらせているように感じた。これが本来の勤務時間の概念だ。 日本の勤務時間が尋常ではないことは、国外に目を向けると分かりやすい。「過労死」という言葉に代表されるように、日本の労働環境は異常である。むしろ、日本は長時間働くことに美学を求める傾向さえある。上司の仕事が終わるまで帰る雰囲気が醸成されないという(非常にくだらない)経験をした方も多いだろう。 もちろん現実はそれほど単純ではない。資本主義の構造の中で、雇い主はできる限り低賃金で長時間で働いて欲しいと考えるのは合理的だ。そうであれば、特定の企業の努力義務程度では大きな変化は望めないという事だ。社会全体の総意のもとに法的規制で行うしかないだろう。法整備から勤務体系の抜本的改革に繋がれば理想的だろう。 今の勤務時間と労働環境及び条件に満足できる人がどれほどいるのだろうか。打開に向けて個人で動くことは難しくとも、集団で訴えるのは手段としては正当だ。「8時間働いたら帰る、暮らせるワークルール」を目指す「わたしの仕事 8時間プロジェクト」は、そうした日本の大きな社会問題にメスを入れるチャンスなのである。 ※参考文献:「わたしの仕事 8時間プロジェクト」

部活動選択制の提案

部活動は、生徒も教師が強制的に関わる制度は廃止すべきだ。現実的に、学校現場は国際競争社会の中で、英語力や向上等の学力指導から、発達障害等の生徒指導状の問題、さらにモンスターペアレンツなど学校現場は心身共に余裕がまったくない。 例えば、私が視察した豪州では部活がない。高校では15時以降の放課後は生徒の時間だ。生徒が自主的にスポーツやアルバイトなどに励んでいる。教師は教科指導の準備が十分に取られている。これが本来の学校教育の姿だ。 部活そのものを否定するというよりは、放課後の時間は生徒に委ねるべきだということである。放課後はあくまで放課の後であって、強制的に学内に縛るほうがおかしい。生徒が自分の興味・関心に合わせてスポーツやボランティア(高校生はアルバイトなど)をすれば良いのだ。そして、教師は部活動のプロではなく、学習指導のプロであるべきだ。日本の英語指導を例に取ると、英語教師を実力不足だと短絡的に嘲笑するのは現状を知らないだけだ。時間と余裕がないだけだ。 そもそも教員採用試験で明確な部活動指導能力の検査はないのだから、教師が任意の部活動の指導をすることは責任と安全管理に関して大きな問題である。むしろ民間の団体等にとってはビジネスチャンスいにならないだろうか。政府が生徒及び指導者に補助金を出して活動を促進すれば良い。「餅は餅屋」である。制度が確立すれば、各分野で先進的な取り組みに結びつく可能性もある。 生徒も教員もお互いに時間の使い方が本業でなくなっている。はまず部活動は強制でなく選択制にすべきだ。そして、部活動選択制が今後の学校外の自主的な活動に結びつくことを願っている。 ※参考

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