『寝ながら学べる構造主義』 〜システムの中の「私」〜

政治家はなぜ「政治家」でいられるのか。それは選挙で有権者から票を集めて当選するという客観的なプロセスを経たからだ。だから、今日から急に「政治家になりました」といっても誰も認めてくれない。政治家に限らず、ある人が所有している免許や資格、さらにはどこの社会階級や特定集団に属しているかなどで相対的に自己の存在が規定される。私たちは誰もが既に色のついたキャンバスにして自己としての「作品」を描く。そこには描くための限定された「道具」があり、他者の「作品」も特定の「サングラス」を掛けて見ているに過ぎない。ここでは、「個展」を出すことは不可能で、他者の作品と比較でのみ自己が表現される世界なのである。 自己の存在は、他者や社会といったシステム、すなわち構造の中に相対的にあるもので、こうした考え方を構造主義と呼んでいる。言い換えれば、「自由や自律性はかなり限定的なもので、所属する社会によって認知が限定される」ということである。言語学者ソシュールは次のように述べ、構造主義の父と言われている。「思考内容とは(中略)言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ」(『一般言語学講義』)つまり、ある言語を用いることは、すでにその言語及び社会システムの中でしか思考できないのであり、それこそが「自我中心主義」の脱却に他ならないのである。 『寝ながら学べる構造主義』は、構造主義という思想史が私たちにいかに影響を与えてくれるかを教えてくれる。例えば、「私」が日本史実についての論考をする。歴史は学校教育として学ぶが、その内容は文科省の検閲を経た「日本政府」にとっで「客観的」で「都合が良い」ものが選ばれている。

『バカの壁』 〜自他尊重の精神を持つ〜

豪州に住んでいたときのルームメイトは、ある宗教の熱心な教徒であった。彼には教会にも連れて行ってもらって、とても優しかった。しかし、私は心から共感することが出来なかった。彼の「神」が目の前にいる、と言われても、私には実感が持てなかったからだ。「見えないよ。」私の浅はかな思考は私たちの友情を大きく割いてしまった。懺悔の気持ちでいっぱいだが、一生この罪は背負っていかなければならないのだろう。私は、本当のバカだった。 著者は、私たちは脳内で絶対だと信じいている領域と、その外側の現実世界があり、その間に「バカの壁」があると主張している。実際、私たちの言動は、脳への入力(知識や情など)をx,出力(体の動き)をyとすれば、感情・社会適応を係数とした「y=ax」という方程式が成り立つ。この係数が人によって異なるのだ。日々変化する「身体」が普遍的な(暫定的な性質の)情報を係数を掛けながら解釈していく。また、日本は、戦後は「身体」を忘れて脳で動くようになっている。また、衣食住の満ちた社会は機能的・組織理論で相互援助や無償の奉仕を忘れてしまい、生きる意味を失った「共同体」の崩壊を招いている。「寝ている間に人は変わるといった「無意識」をも排除されている。近年は、社会的認識である「共通了解」を強いる一方で、教育では「個性」を求める矛盾すらも指摘している。筆者は述べていることは、私たちが認識している世界だけが正しいという一元的な思考では、いつまでも自分のにとっての分からない世界があるという「バカの壁」に気づけないとということである。 筆者は望ましい教育に関しても次のように述べている。「好きなことのある教師

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