『教育改革の幻想』 〜教育政策の光と陰〜

学習内容を全国規模で規定するのが学習指導要領だ。過去には2002年、「詰め込み教育」から「ゆとり教育」に舵を切った時の衝撃は非常に大きかった。国としての展望が提示されるわけだから、改定されるにあたっては、その一語一句を巡って官僚や知識人が深い議論がなされていた。はずであった。本書は、彼らのロジックがいかに脆弱で、理想論に突き動かされていたかを気付かせてくれる。「ゆとり教育」が始まってすぐに出版されたにも関わらず、いまだに名著だと言われるのは、データや歴史を含めて現実に向き合った確固たる論理である。 「詰め込み教育」の弊害が指摘され、その対策として、生徒が主体的な学習する「子ども中心主義」にシフトした。「総合的な学習の時間」や「週休二日制」などがその代表的な施策である。子どもの本性を信じ、生活に直結する「新しい学力観」は賞賛された。アメリカのロマン主義を模倣した、オープンスクールのような教育理念である。しかし、筆者は、私たちが反論し難い教育の「べき論」を提示し、それぞれ光と陰で対比させながら、私たちがいかに「幻想」の上に立っていたかを教えてくれるのである。 確かに「詰め込み教育」と聞くと否定的な意味を持つことが多い。だからこそ、「生徒主体」の授業が輝かしく見える。例えば、英語という教科に限って言えば、アクティブラーニング[AL]のよう手法は絶対的に有効だ。しかし、本当に基本的なことを教えなければ成立しない。様々な階層が集まる公立の学校では、「主語(~は)」の意味が分からないことは珍しい話ではないし、そもそも教科書が準備できないことだってある。現実を直視せないで「詰め込み教育」を否

「フェアプレー」はアンフェアー?

将棋界では2015年4月に将棋のプロ棋士対パソコンソフトで盛り上がっていた。人間対パソコンの団体戦。その決着が着く大将戦で事件は起きた。持ち時間は各5時間であるにも関わらず、開始からたったの21手、49分で終わってしまったのだ。荒く言ってしまえば、プログラムの欠陥見抜いて必勝形に誘導したのである。主催者側も予想外の結末だった。さて、ここで議論が始まった。ルールに乗っ取って、勝つために手段を選ばなかった棋士の行為は、はたして妥当かどうかということである。 月日は流れて、似たような議論が再燃している。それも世界規模でだ。そう、サッカーワールドカップの日本対ポーランドの試合である。日本は他会場の試合結果に合わせて、危険犯さずに現状維持のまま負けることを選択した。後半の残り数分でイエローカード1枚をもらわなければ、負けても予選突破が出来るからである「フェアープレイポイント」で逃げ切れるのである。 観戦者は、「勝負」と「美学」の間で大きな火花が散った。どちらもルールに則っているから反則ではない。考えて欲しい。もし自分が、棋士や監督(または選手)の立場だったらどうするだろう。勝つことがすべての世界で、魅せるために勝利を捨てる賭けをするだろうか?それぞれが代表として背中に大きなファンの期待を背負いながら、瞬間的に「正しい」判断することは想像を絶する究極の二択だろう。 私はというと、当事者の言動を理解しつつ、この議論の終着点は、次の「一手」をどうするかということに尽きると思う。「課題」があるなら次に活かすルールや仕組みを考えれば良い。例えば、冒頭の将棋では、バグを発見したら自主的な報告義務する

Featured Posts

Categories

Archive

Copyright © 2016-2020 Seize your Sky All Rights Reserved.