大晦日 2019

問題を直視せず、先送りをしたことで一気にその不満が爆発したように感じる。香港の雨傘運動は、若者が「高度の自治」の形骸化を遅れてNO!を突きつけた形となった。また、16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリは、国連の「気候行動サミット」で各国首脳陣に地球温暖化防止を強い口調で訴えた。建前や保身といった「大人の世界」が世界中で痛烈に非難された出来事であった。 「先送り」というキーワードで国内を見ると、大学入学共通テストの英語民間試験導入と国語・数学の記述問題の見直しが頭を過ぎる。特に英語に関しては、4技能を育成することには賛成だっただけに、非常に残念な結果である。(詳しくは、「朝日新聞の記事(朝刊紙面・デジタル)に載りました ~記事の裏側~」を参照して欲しい。)ただ、私たち現場がもっと早くから危機感を持たなければならなかったことは反省点である。 それにしても干支の力を得たような活躍だった。ラグビー日本代表がワールドカップでベスト8に進出し、「ONE TEAM」というフレーズは流行語大賞になった。そこには私たちが本来あるべき社会を想像したのかもしれない。日本は「平成」から「令和」に年号が変わったが、新しい気持ちで仕切り直しをしたいという雰囲気が醸成されていたような気がする。 一方で、どれだけ科学技術が進歩しようが、台風直撃やそれに伴う河川氾濫など自然の脅威の前に人間は無力だ。私たちは、テロ(宗教対立)、核兵器、格差社会、少子高齢化といった現実を前にどこか閉塞感・虚無感が拭い切れずにいるように感じる。突破口は必ずあると信じながら年を越したい。 それでは、1年間、ありがとうございました。良いお

今年の漢字 2019

「無難だな。」これが率直な感想だ。日本漢字検定が公募して発表する今年の漢字は「令」になった。平成から「令和」に変わったことに加え、その元号の由来が古典に由来することで、日本の伝統文化を再認識するきっかけとなったからだとい う。一年の総まとめの漢字が否定的なニュアンスでないことは喜ばしいことだ。 さて、ここからはGHF’03から続く毎年恒例の「私の今年の漢字」シリーズだ。 2008年「転」 2009年「停」 2010年「躍」 2011年「結」 2012年「蓄」 2013年「修」 2014年「再」 2015年「二」 2016年「合」 2017年「落」 2018年「接」 今年は3年ぶりに担任に復帰したのだが、とにかく大変な学年だった。毎年、担任専用ノートとしてモルスキンのノートを使用している。例年は半分から三分のニ程度しか使わないのに、今年は12月で残り数ページだ。いろいろあり過ぎて「暴」の字が真っ先に浮かび、そしてそれ以外は出てこなかった。だからこうしよう。私の住んでいる地域は、年間で2回も台風の「暴」風域に入った(しかも一回は台風の目が通った!)から「暴」ということになったのだと。 さて、みなさんの今年の漢字は何だろうか? ※参考文献 日本漢字検定協会、(2019)

大学入学共通テストの記述式問題は廃止せよ

大学入学式共通テストで、英語の民間試験導入延期に伴い、国語・数学の記述式問題の延期または中止が検討されている。思考力等の評価を目的としているのだが、およそ50万人受験する試験としては致命的な欠陥を抱えている。 第一に、公平性に大きな問題を抱えている。およそ50万の生徒の記述式答案を公平に採点するのはほぼ不可能だ。採点の基準が明確であれば差異がないように感じるかもしれないが、生徒の解答は想定されないものばかりだ。実際、高校入や資格試験等の採点の現場では、想定外の解答をどの基準に落とし込み、すべてにおいて公平になるかを考えなければならない。悪いことに、採点者にはアルバイトを含むようで、専門的知識のなければ公正かつ適正に採点できないことは容易に想像がつく。受験生の人生を賭けた答案を採点者側が真摯に受けて止める仕組みになっていない。 第二に、上記の理由で生徒が自己採点をすることが出来ないために、その後の出願に大きな影響を及ぼすからだ。つまり、生徒が自分の解答を再現することだけではなく、実際の採点と自己採点に乖離が起こる。すると数点違いで何千人、分布によっては何万人と順位が変わってしまうために、正しい進路選択が困難になる。マークシートでさえも自己採点が完全に一致するとは限らない。高校生は普段のマーク式問題でさえ相当の誤差が生じているのが現状だ。それが記述式となれば正しく自己採点することは相当厳しい。受験生の心理がどのように出願に影響されるかも不透明だ。 共通試験の記述式問題の中止は妥当であるが、英語の民間試験導入と大学入試改革の2本柱を失い、当初の変革に黄色信号が灯った。もちろんマーク式

エラーと学びの場

日本の英語教育が目指す理想の生徒像は、ネイティブスピーカーのような完璧な英語ではない。従って、学習者もそれを期待して勉強をしてはいけない。あくまで第二言語としての英語を使いこなす力である。魔法のような方法はなく、間違えながら少しづつ上達していくしかないのだ。 「活動あって学びなし。」授業実践者として、この小見出しにハッとするところがある。私は英語の授業は「机に向かう勉強」ではなく、「体を使う訓練」の場であると考えているが、果たして自分の提供する活動はその効果をどれほど期待できるか。安河内哲也の提唱する「授業満足度×成績伸び率」は、私の大きな課題の一つだ。「うまくいった授業なんて年に数回だ」というベテランの先生の言葉は重い。 山田誠司教科調査官は、「言語活動のあとにいかに指導を行うか」が大切であると言う。「エラーを拾い上げて指導すること」という視点は評価との一体化という観点からみても不可欠な要素だ。ただ、中学生に「なぜできるようになったかを振りかえさせる次に繋げることまでは難しいだろう。この傾向は、学力で輪切りされた高校の下位になればなるほどではより顕著なのは想像に難くないだろう。 小学校から外国語活動が始まり、中学校では「入学段階での実態に差が生じる」可能性も指摘されている。生徒同士の学び合いの中ですでに序列が存在する可能性もあるわけだ。互いにミスを指摘し合って、切磋琢磨する学びの場を教師が意図的に仕掛けることが重要になってくるのだろう。 ※参考文献 日本英語検定協会、(2019 )、『英語情報 2018年1号』 安河内哲也、(2007)、『できる人の教え方』中経出版

英語民間試験の具体的代案 〜TBSへの回答〜

先日、職場にTBSから英語民間試験導入の賛否、及びそれに関するアンケートが届いた。依頼は10月の政府による延期発表前で、多忙なときに真摯に回答したのだが、お礼の返信もないのが残念だった。(反対ありきの質問項目も酷かった。)本稿は、その回答を踏まえた私なりの英語民間試験の代替案を提示したい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (英語の民間試験導入の延期発表前の時点では)英語民間試験の公正・公平性は完全に公平されているとは言えない。 (英語民間試験の導入で改善してほしいことは、そもそも)目的の異なる数種類を同一の試験を一律のCEFRでは測れないと思う。実際、それぞれのレベルを見ると試験の難易度が適切に表示されているとは思えない。(英検1級があまりにも軽く見られている!) そこで、代案として、私は2つの考えがある。第一に、民間試験はあくまで補助的なものとし、国が責任を持って全国統一の試験を実施することである。今まで大学入学センター等が蓄積したデータやノウハウを活用すれば良い。国はそこにお金を投資するべきである。第二に、各大学等が二次試験でアウトプット(ライティングやスピーキング)のテストを行えば良い。1次試験で絞り込んだ受験生を大学のアドミッションポリシー等に従って対面式インタビューやプレゼンテーションなどを課せば良いのだ。 島しょ地域での実施など、今回の民間試験は問題点が多いが上記のような代替案を強く訴えたい。日本人が今まで、ライティングやスピーキングが苦手としていた大きな要因の一つに、アクトプット型の試験がなかったからという事実が挙げられる。生徒も保護者も学校もシビアだ。試

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