「完璧=自己ベスト」
ストレスコーピングやメンタルヘルスの観点からすると「完璧」を求めることはしばしば自身の負担になることが多い。精神疾患を患ってしまう人はこの傾向が強く、また完璧を求めて自分を追い詰めてしまうこともある。ただ、その「完璧」を求めることが良い方向に進むこともあるらしい。
自転車競技の河野翔輝選手は、早稲田大学在学中にプロチームに所属し、全日本選手権トラックなど、複数のタイトルを獲得している。今後の目標はパリ五輪出場だ。「どうしてできなかったのか、どこがダメだったのかを考えて、少しでも完璧に近づくために毎日努力しています」と言う。ストイックな練習が成果を出した好例である。
ミスが許されないスポーツのような競争の世界では、こういった厳しい練習が必要だろう。ただし、私たちの多くは、自分が潰れない程度に「完璧」を求めることのほうが重要かもしれない。大学入試でも満点を取る必要はなく、むしろ合格点を取る戦略が現実的だ。
そもそも「完璧」という定義が難しい。客観的なデータのない日常、例えば、完璧なスピーチや家事といった場合の評価は主観的であるが多い。つまり自分で「完璧」だと満足できれば、それは「完璧」だ。そのハードルは自由に調節できる。もちろん、夢や目標は大きい方が良い。だから、今、自分ができることを最大限やってみる(できない部分は諦める)こと大切だ。
※参考文献
早稲田大学校友会、(2023・2)『早稲田学報』
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