『街場の平成論』〜私の平成論〜

 自分が過ごした時代区分である「平成」というものがどのように理論的に総括できるのか。それが本書を手に取った理由である。内田樹編者にしたアンソロジーで、政治、文化、自然科学、宗教、哲学など広い分野で平成が論じられている。令和の時代を展望するにあたって、平成がその前後と何が異なるのかを比較することで見えてくるものがある。

 編者の内田樹は一人目の論者で政治的な側面から時代を五段階に区分する。平田オリザはスポーツと韓国を論点とし、プレイディみかこはジェンダー論、白井聡は政治と歴史、平川克美は労働と消費者、情報技術とアイデンティティ、中野通は生命科学史、釈徹宗はオウム真理教を軸にしたカルト宗教のイスラームの2点、そして鷲田清一は「小さいな肯定」をキーワドにした哲学的観点からそれぞれ論じている。白井聡「ポスト・ヒストリーとしての平成時代」はやや難解ではあるもののエビデンスも十分で圧倒的なロジックである。経済的なエビデンスから「大文字の歴史」と個々の精神性や哲学面まで幅広く分析されている。全体また複数で共通している概念もあれば、自分では気づきにくい新しい知見が得られるだろう。

 

 ここからは私の平成論を稚拙ながらも展開したい。稚拙というのは謙遜しているわけでも自分の不勉強をエクスキューズするわけでもなく、ただ平成の初期はよく覚えていないのだ。天安門事件どころか天皇が崩御したという記憶がない。ただ、その頃の通知表には手書きの味わいが残っていし、携帯電話なんてないからデートのときは電車の何号車で会おうと約束をしていた。将来のことはあまりに予想がつかなかったが、とりあえず英語と情報技術はこれからの教育現場で重要だと確信して留学の道を選んだ。

 もしある人が昭和の末期から一気に令和の今日に飛んだらどうなるだろうか。現代への訪問者は、通勤中に手の平を夢中で指でなぞり、職場では薄い金属板を持ち歩いている。そして自宅でもそれらが水や電気などのライフラインの一種になっていることにも気付くだろう。現実世界だけではなく、インターネットと呼ばれる仮想空間にも生きる二重生活に生きることに衝撃を受けるはずだ。

 ITの発展はバブル崩壊と相まって脱物質社会、つまりサービスを中心とした消費社会へを変化した。ここでは、教育に絞って説明をしていこう。消費社会が浸透にするにつれて教師と生徒及び保護者の立場は様変わりした。生徒にとって気に入らないことがあれば、「教育委員会に訴えるぞ」というのは常套文句となっているし、教員側も個人で訴訟保険に加入している。生徒指導から進路指導、保護者連絡の方法などすべてを任され、本人及び保護者、地域にいつでも最適な「サービス」を提供することが求められている。「文化祭がつまらないのは学校のせいだ」といった感じだ。一方、指導する側でも、市場原理が入りこむことで、生徒が失敗から学び、理不尽さに打ち勝つ哲学を失っている。この主張が将来別の形で自分を苦しめる「ブーメラン」となって返ってくる状況、そしてそれがはより息苦しい社会になっていることにまったく気付いていないようだ。平成の消費社会は、他者への不寛容によって格差社会の拡大に拍車を掛けている。

 それでも平成の時代には大きく誇れることが1つある。それは戦争を放棄し続けていることだ。もちろん戦後のアメリカとの安全保障条約で核の傘化にあり、ベルリン崩壊後には国家の防衛の在り方には検討の余地があるだろう。しかし、決してあの過ちは繰り返していないのだ。他国の戦争に経済的な連合はあったにしても、武力の行使は行われていないのだ。平成は経済の低迷や自信喪失を軸に論点が展開されることもあるだろうが、平和を維持しているという事実は誇りに思うべきである。「平成」は平和が「成立」した時代であると信じたい。

※参考文献

内田樹編、(2019 3 30)、『街場の平成論』晶文社

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