私の早稲田大学
布団で見るその夢の中で私はいつも高校生だった。大学受験を目指しているが、志望校は早稲田大学。順調に進んでいない国語や世界史の勉強をどう克服しようかで絶望しつつ、受験に奮闘していく物語だ。その「物語」は数年間、断続的に見ていた。そして、現実の世界で早稲田大に通い始めてからその夢は見なくなった。文字通り夢にまで見た早稲田大学での修学だった。
教授人は錚々たるメンバーで、周囲の学生の力も高く、勉強では大きな刺激を受けた。大学は主体的に勉強をする場所で、何かを求めているわけではなかったので、大学の講義などに特段の期待はしていなかった。そのせいか授業は割と楽しめた。学習指導要領に直接関わった先生や全国規模の組織のトップを務めた元校長もいた。伝統と最先端が融合されたキャンパスは美しかった。別学部の大学院の教授のお手伝いをしてお小遣いを稼いだことも懐かしい。
早稲田の杜は、間違いなく私にとって今の基盤となる貴重な時間となった。理論と実践の融合を目指したカリキュラムであったし、その中で実習およびその研究テーマとした『外国語(英語)科の授業における音読指導の研究』と『心象による英語システム理解のアプローチ』は現在の私の指導方針の核にあっている。(こちらはArchivesにも資料を掲載しているので参考にして欲しい。)また、膨大な時間の中で、本気で英語力の強化に集中できた。在学中は結果が出なかったが、ここで地道に蓄えたものが後に大きな桜の木に成長したと思っている。
卒業後は、稲門会員なので、高等学校で大学受験を保護者対応でも内に自信を秘めて持って指導をできるという現実的なメリットは大きい。もちろん『早稲田学報』で母校への思い入れも強くなるし、年始の箱根駅伝は本当に楽しみだ。後は修学金の返済だけだが、それに見合う十分な成果はあったと思う。これからも早稲田大学の名に恥じないよう、社会にしっかり貢献していきたい。夢の続きは今も続いているのだから。
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