top of page

自由なコミュニケーションの不自由さ

 熊代亨は著書『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』の中以下のような指摘をしている。現代の私たちは、売買やコミュニケーションを担保する法制度と空間設計、それらに適した通念や習慣が徹底された社会の仕組みから便宜を得られる人がいる一方で、人々が他者と共有できない世界観の存在を見落とす可能性がある。こうした仕組みは私たちを効率性や社会契約の内側へと訓練し続け、内面化された通念や習慣からの逃げ場を失わせる。お互いを商品とみなし、コミュニケーションまで資本主義に基づいて考えるようになり、その結果、私たちの価値観は、他者と共有できる関心や媒介物の多寡などで定められ、視野や世界観が制約されてしまう。そして、コミュニケーションの自由は、逆にその分断さえを引き起こすという問題を抱えている。

 確かに数十年前と比較するとインターネットの出現によって、コミュニケーションは格段に広がり、その自由な利便性に疑問を抱くことはあまりないだろう。しかし、筆者の言うように、私たちはその空間においては、SNS等で自分の利益を考慮したコミュニケーションをしていいる。つまり、資本主義に基づく効率重視のコミュニケーションを取るために、自分にとっての非効率な対象を視野から外し、同質性の高い集団の中にとどまり続けている。その結果、世界観や視野の制約が生まれ、同質性の集団が拡大して私たちの分断が深まっていく。

 インターネットのアーキテクチャによってユーザーは無意識に自分の好みの情報を収集することになる。今度はそこで得た情報に自分の意見を混ぜて発信するが、それに呼応するのはやはり同じ意見を持った同質性の高い発信者だ。ユーザーは自分の意見がより普遍的だと感じ、その外側の意見を拒絶する傾向がある。これらの一連の特性が過激化したのがヘイトスピーチだ。このように、売買とコミュニケーションの網の目のもとで、私たちの多様な価値観の共有は困難になっている。

 大切なことは、無限に広がる自由な関係の中ではコミュニケーションの取れない不自由な部分がますます広がるという認識をもつことだ。従って、多種多様な人々に会う機会を大切にし、まったく別の意見や思い持つかなかった考え方を自分の中で受け入れ、排他的な言動を意識的に避けるようにするべきだ。損得勘定だけのロジックから抜け出し、自分とは異なる立場や主張にも冷静に耳を傾け、建設的に意見や考えを創出する他者尊重のコミュケーションが求めらていると考える。

※参考文献

熊代亨、(2020 6 17)、『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』イーストプレス

3 views

Recent Posts

See All

ストレスコーピングやメンタルヘルスの観点からすると「完璧」を求めることはしばしば自身の負担になることが多い。精神疾患を患ってしまう人はこの傾向が強く、また完璧を求めて自分を追い詰めてしまうこともある。ただ、その「完璧」を求めることが良い方向に進むこともあるらしい。 自転車競技の河野翔輝選手は、早稲田大学在学中にプロチームに所属し、全日本選手権トラックなど、複数のタイトルを獲得している。今後の目標は

人は辛い状況に置かれた時に、その因果関係を追求する傾向があるのだと思う。例えば、困っている従業員は「なぜこんな会社のために働いているんだろう」と考える。個人的には、言うまでもなくあのアウシュビッツの強制収容所に比べたら比較にならないほど幸運であるが、それでも「なぜ生きているのだろう」と考えることが多い。従って本著は「生きる意味」を当事者として読めたように感じる。 『夜と霧』の主人公は、第二次世界大

2021年、早稲田大学に「国際文学館」、通称「村上春樹ライブラリー」がオープンした。校友会(卒業生)である村上氏の寄付がきっかけとなり、「文学の家」として「キャンパスのミュージアム」化に貢献している。ここには村上春樹の著書だけではなく、彼のレコードやCDのコレクションも置かれている。彼の世界観をいつかは感じてみたいとまずは短編を手に取った。 ストーリーはと短く、場面のほとんど車内のドライバーとのや

Featured Posts

Categories

Archives
bottom of page