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子どもの規範意識をはぐくむ教員の力量について ―可能性と限界―


 生徒指導において、規則・法令の遵守を意味する規範意識の醸成は、教育の不易の課題であり、生徒の自己実現・社会貢献の育成のために大変重要な視点である。そこでは、教師の実践的指導力や人間性が生徒の内面と対峙することが求められているが、一方で、近年の生徒の問題行動は、例えば、公共マナーの欠如を始めとして複雑化・多様化していると言える。その対策として、ある一定の成果を挙げたとされるアメリカのゼロトレランスを日本に輸入し、活用する動きが広まっている。そこで、ゼロトレランスを視座にして、教師の力量に関する可能性と限界を考察する。

 私は、私立の高等学校に勤務をしたが、私が担任したクラスは、前任者が学級崩壊を起こした状態を十分改善できないままで引き継いだために、生徒の規範意識を高めることが生徒指導上の優先事項であった。そのため、私は、生徒指導上の厳しい実態を考慮すると、最悪の事態だけは避けたいという即効的・保守的な指導に舵を切る必要があると考えた。すると、確かに他のクラスに比べて生徒の問題行動は少なく、「安定した学級」と評価された。生徒集団をある水準以上でコントロールするという意味では、担任としての責務は果たせたかもしれない。

 しかし、そのことが逆に今でも私の心に疑問を抱かせている。生徒にきまりを守らせるという表面的な事象に過度に焦点が置かれれば、望ましい生徒指導の在り方が欠落する。なぜなら、第一に、ゼロトレランスは、教師の指導の生徒の自己指導力の抑制に結びつくからである。教師の役割は、どのような規則があり、違反をすることでどのような罰則があるかを説明することから始まり、学校教育全体を通して生徒の行動を監視及び罰則の施行することが中心になってしまう。すると、生徒は主体的に考え、行動する意欲が低下し、言われるままに行動することが最良の選択と捉える傾向になると考えられる。第二に、教師の指導が生徒の中にダブルスタンダードとして生じさせてしまうというからである。学校の定めた規則の中でも教師の扱い方に多少の個性の違いが出たとき、生徒は自身に関係の深い教師の教育観を見抜き、許容範囲を予測して逸脱行動に及ぶ、または、そのことが生徒の中で快感となって問題行動を引き起こすという矛盾もはらんでいる。第三に、その指導体制は、学級等の集団での人間関係の希薄さを引き起こすからである。川村(2010)は、「学力や活動の取り組みに対する教師の評価によって、学級内の子どもたちの間には地位の高い子どもと低い子どもとうヒエラルキーができており、その結果人間関係の形成も広がりにくい」ために、「規律良く授業が展開していたとしても、隠れた問題が潜んでいる」こと、特に、「地位の低い子がいじめ被害を受けやすくなる」ことを指摘している。また、教師と生徒の関係もシステマチックで無機質な状態になり、心の交流が失われることにもなるだろう。最後に、教師の行う問題行動の数値化が、生徒の豊かな心の育成を妨げる要因となりうるからである。私の勤務校では、教師の指導に対して生徒のアンケートが行われたが、過度な管理主義的な教師に対して、「先生の指導の改善点を書くのが怖い」「否定的な意見は言えない」といった意見を聞いたことがある。こうした事象は、残念ながら反省的実践者として望ましい教師とは言えないだろう。

 こうしたゼロトレランスの脆弱性を克服するため、山田・桑原(2010)は、学校教育の教師及び子どもの実態調査を行い、教師の生徒指導の2つの可能性を指摘している。1つが、「子どもの日常の生活を軸とした些細な言動を厳密に記録しながら子どもの変容を励まし伸ばしていく」ことである。バブル崩壊以降の社会構造の変化、雇用情勢の不安定化は、生徒の将来へ悲観から向上心の喪失や、自分は必要とされていないのではないかいった自己効力感の低下を導く要因となっていることを踏まえれば、生徒の良い点を見つけ、伸ばしていくことで自身を律していく力をはぐくむことが可能であると考えられる。もう1つは、「相互に自立できるような場の設定」、すなわち、「自分たちの問題であることをしっかり認識させ、逃げずに解決しようと試みることをうながし、自己決定させていくこと」を挙げている。例えば、教師がホームルームの時間を要にして、学級で起こっている問題を解決ることを目的にした意見交換の場の設定をし、コーディネーターの役割を果たすといった活動が考えられる。このような実践は、「生きる力」と共に、生徒指導の最終目標である自己指導能力の育成に直結するもので、本来は最も重視されるべきものである。

予定調和的なスキームに生徒を押しこめる対処療法的な指導は、教師の専門職としての実践的指導力を発揮する機会を奪っていると言えるだろう。文部科学省が掲げるように、生徒指導は、生徒が社会的に自己実現できるようになるための「支援・援助」であり、一方的な「管理・指導」であってはいけない。教師は、生徒の内面に寄り添い、励まし、一方で叱っていくことで、生徒自身が悩み考えることで自己反省を促し、生徒のさらなる変容を期待することできると考える。それは、例えば、鈴木(1995)が、「人と人は教師であっても、男と女であっても、心でつながっているのではありませんか」といった類いの言葉を学級全体に常に投げかけた姿勢である。教師の生徒の内面に寄り添う力量こそが生徒の内発的動機づけにも繋がる重要な要素であると考えられるからだ。

 安易なゼロトレランスの依存は、教師が本来発揮すべき専門職としての人間的な関わりから導かれる教育的指導を狭めてしまう。生徒の自己実現と社会貢献の実現のための支援・援助として、生徒の自己指導力育成にふさわしい心に寄り添った規範意識の指導が求められていると考える。

参考文献

川村茂雄、(2010)『日本の学級集団と学級経営』

山田潮・桑原清、(2010)『毅然とした態度で厳罰化を推し進める「生徒指導」の位相について』

鈴木敏則、(1995)『高校生の叱り方』

裏C、(2011) GHF’03 「誰かが一言」


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