top of page
  • Tom

クレームという名のブーメラン


 クレーム社会である。お金を払えば何をしても許されるといったクレーマーが多い。モンスターという接頭辞がついた流行語もある。そうした過度なサービスを求めることは、結局自分を苦しめることに他ならないことを当事者は気づかない。

 ある消費者の「主張」が仕組みの大勢を動かすような理不尽なものであったときのロジックは面倒だ。もしその要求に屈した場合、それ以降の要求にどう折り合いをつけるかを考えなければならない。「クレーム」はどれほど困難であっても簡単に妥協できないのだ。

 社会がそうしたクレームを当たり前の「権利」だと謝って流布されてしまえば、いたるところでクレーム対応に追われることになる。休日にクレームを言っていた人間は、翌日の出勤日にはその立場を完全に失っている。

 クレーム社会は、サービスの質を向上させない。いかにクレームをつけられないかに神経を尖らせ、穏便に過ごす方法論を追求することになる。客、保護者、患者、利用者、…。サービスの需要と供給のあり方を考える時期に来ている。


13 views

Recent Posts

See All

人は辛い状況に置かれた時に、その因果関係を追求する傾向があるのだと思う。例えば、困っている従業員は「なぜこんな会社のために働いているんだろう」と考える。個人的には、言うまでもなくあのアウシュビッツの強制収容所に比べたら比較にならないほど幸運であるが、それでも「なぜ生きているのだろう」と考えることが多い。従って本著は「生きる意味」を当事者として読めたように感じる。 『夜と霧』の主人公は、第二次世界大

2021年、早稲田大学に「国際文学館」、通称「村上春樹ライブラリー」がオープンした。校友会(卒業生)である村上氏の寄付がきっかけとなり、「文学の家」として「キャンパスのミュージアム」化に貢献している。ここには村上春樹の著書だけではなく、彼のレコードやCDのコレクションも置かれている。彼の世界観をいつかは感じてみたいとまずは短編を手に取った。 ストーリーはと短く、場面のほとんど車内のドライバーとのや

新型コロナウイル感染が世界中に拡大し、医療・経済・教育などあらゆることが変化し、多くの議論が行われている。現実問題として医療や経済などに目が向かいがちであるが、終息する気配もなく、どこが退廃的な雰囲気が醸成されているのはなぜだろうか。 大澤真幸の論考「不可能なことだけが危機を乗りこえる」(『思想としての新型コロナウイル禍』)はその中でも社会学の視点で論理的にコロナ禍を考察し、今後の展望を述べている

Featured Posts

Categories

Archives
bottom of page