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『子どもと学校』 〜二項対立を超えて〜


 教育は議論しやすい。自分自身が通ってきた道であるし、親になれば学校との関係が出てくる。だから、目の前の事象ー例えば、生徒の問題行動などーに対して、白か黒かといった二極的な視点に陥りやすい。生徒の問題行動が善悪の基準でのみ図られると本来の教育が成立しないこともありえる。

 本書は、そうした二極的な論争を徹底して拝する。例えば、個人の確立や個人差の肯定などに基づく「父性原理(男性の目)」と、場への所属と包み込むような平等感による「母性原理(女性の目)」から見た社会の様相および教育方法の実際を分析する。このとき、どちらも肯定しつつ、成長過程の子どもや置かれた状況から臨機応変に両方の視野からの指導を模索している。本書の肝は「教育の現場は、既成の価値によって運営されるというのではなく、新しい価値を創造していく場としての意味を持つ」ことだろう。

 生徒指導も数十年前のアメリカで行われていたいっさいの妥協を許さない「ゼロトレランス」の導入から、「モンスターペアレンツ」の出現で叱責することさえ憚れる時代へとまるで振り子のように振り子のように動いている。どちらが正しいということではなく、生徒の発達段階や資質能力によってアウフヘーベン的に対応していくしかないというのが「公式」になるのだろう。目の前にいる生徒に対して、どの指導方法が適切なのかを見定めて指導する、そのための知識・技術、経験といった「引き出し」の多さが教師としての信頼や魅力などに繋がって行くのだろう。教育とはそれだけ曖昧で複雑で、だからこそ魅力的なものになるのかもしれない。

 生身の人間を相手にしているだから、確たる「公式」がないのも当然だ。…という言説もまた「公式」でなはない!という言葉遊びはここで終わりにしよう。26年も前に出版されたものであるが、臨床(現場)の立場から「断言を避けた断定」が色あせない価値になっている。

※参考文献

河合隼雄、(1992 2 20)、『子どもと学校』


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