「火星からきたジャーナリスト」 〜思考停止を避けるために〜
「テロ」という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。一つに特定不能の犯人が突然一般市民を巻き込むという点でかつての戦争と大きく異なると言える。特に、世界的な転換点となったのは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件だろう。私たちは旅客機が世界貿易センタービルに衝突するシーンを何度も見てきた。欧米のメディアが流す映像や情報は、私たちがイスラム系に憎悪を抱き、国家的な支援を受けたテロリストの抹殺を目指すには十分な材料となっている。
しかし、アメリカは本当に「被害者」なのだろうか。そんな疑問を投げかけたのが言語学の大家、チョムスキーである。彼は、思考実験として火星人がどのように地球(アメリカ)を観察するかを記述する。異星人はおそらくアメリカの対テロ闘争は自分に当てはめようとしない基準を相手に押し付けていると言うだろう。聖書の言葉を借りて言えば、米国の行為は「偽善」である。さらに火星人は、米国は自分にとって正しい行為は他人にとっても正しく、他人の誤った行為は自分がするという原則を見つけ出すと言う。しかし、他人に適用している基準を自分にも適用するのは道徳的相対主義の罪であるとして、それは否定されてしまうだろう。さらに、米国は曖昧な「テロ」という言葉の定義を「他人が私たちに行うテロ」とすることで合理性を持たせようとする。それゆえ、筆者はテロへの対応は、このまま「偽善」を貫くか、または火星人が本気で信じる道徳的原則を守るかの選択をしなければなないと述べている。
私は、この著者のロジックに一定の価値を認める。確かに、アメリカ同時多発テロを「テロ」と見なすならば、引き続いて起こったタリバン政権への空爆も相当な「テロ」となる。つまり、アメリカは自身に都合の良いように「テロ」を解釈、または抹消しながらメディアに情報を流すことで愚民(著者は別の論文では「とまどえる群」)を支配している。日本は政治的にも文化的にもアメリカに追従してきたわけで、メディアに流される情報はアメリカ寄りにならざるを得ないだろう。だから、私たちが自明の理としているイデオロギーや歴史概念が事実と異なっている可能性は十分にあるのだ。チョムスキーは膨大な資料を検索し、アメリカがどのような情報を取捨選択して民主主義をコントロールしてるかを論証して見せた。火星人を使ったロジックの展開はさすが言語学の大家であると言える。
ただし、注意しなければならないのは、この著書自体がメディアの一部ということである。つまり、この論文もまたメデァイによって世にでることを許可された出版物だと仮定するならば、真実はまた別にある可能性は否定できない。従って、私たちは社会常識やメディア情報といったものを疑いもなく受け入れてしまうような思考停止の状態だけは避けなければいけない。それだけは確かなことだと断言したい。
※参考文献
ノーム・チョムスキー、(2003 4 22)、「火星からきたジャーナリスト」(『メディア・コントロール ー正義なき民主主義と国際社会』)、集英社
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