『二十世紀とは何であったか』 ~精神・思想史から20世紀を対象化する~

 20世紀を総括せずに21世紀を語れない。この著書を読もうとしたきっかけである。著者の小林通憲は発行時の平成6年に福井大学の教授で、専門は哲学や文明論である。しかし、本書の中では、難しい専門用語を使わずに、むしろ所々冗長に感じるほど丁寧に説明がなされている。歴史的教養の要点を整理するのではなく、その背後にある人間の思想・精神史を浮き彫りにしつつ、「二十世紀への哀悼と鎮魂」を表明している。

 歴史は力や権力の辿った跡の記述になりがちであるが、本書は20世紀の痛恨の出来事である二度の世界大戦の本質を描き出しているように思う。そのキーワードが「非ヨーロッパの世紀」だ。二度の世界大戦によってヨーロッパがその国々の体力を使い果たし内部崩壊を起こすとともに、地理的にヨーロッパの影響が及びにくい広大なアメリカ大陸で産業が急速に発展していった過程を知ることが出来る。そして、そこからアジア・アフリカの自立と苦悩が論理的に説明されている。

 パックスアメリカーナ(アメリカの覇権による世界平和)とアメリカに端を発するマスディアの影響、大量消費社会がいかに全世界及び日本の文化・社会・精神史を作り上げたかも論理的に説明されている。筆者は、20世記の科学技術の進展や国家の在り方に光を当て、そのために影となった文化や精神の頽落を嘆いている。世界や世紀を否定的に述べすぎているように感じているが、それこそが物質的な豊かさや21世紀の現代人に向けた警鐘なのかもしれない。

 20世紀は戦争による世界の崩壊と、科学技術の進展の世紀だったように思う。私は、21世紀は情報技術による知識基盤社会とそれに伴う脆弱な世界システム化ではないかと思う。世界が限りなく小さくなるとともに、人類の発展はそのシステムの運用次第だろうと予測する。もし審判の日があるならば、見せかけの繋がりや頽落していく精神を振り返ることなく突き進んだ道の先にあるだろう。歴史の考察が将来で予測できるわけではない。しかし、今を生きる私たちは、歴史に流れる潮流から今を対象化する必要がある。本書はそうした確固とした歴史観を考察する一助になるであろう。

※参考文献

小林通憲、(1994)『二十世紀とは何であったか』日本放送出版協会

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