新型コロナウイルス 〜緊急事態宣言を受けて〜
この記事は一部を書き始めたところで間に合わずに、数日遅れの公開になってしまった。新型コロナイウイルスに関わる緊急事態宣言である。記事の本線にしていたのは、早く宣言を出してもらわないと手遅れになってしまうとう内容であった。事態は日々悪化の一途を辿り、これからの状況に危機感を抱いていたからだ。
ところで、新型コロナウイルスへの対応の中で重要局面がいくつかあった。オリンピックの開催を巡ってはIOCとの調整をしながらも最終的には開催が延期された。もちろん選手選考や環境維持の支出増加等多くの課題があるが、それに鑑みてもオリンピックの延期は妥当な判断であった。どう考えてもクラスターの発生を抑えることはできないし、むしろロックダウンが必要な状況で、国際スポーツの開催は困難である。次に、志村けんの死去は、目に見えない敵の存在を白日の目に晒すことになった。新型コロナウイルスの対応の難しさの一つに感染者が無症状であり、しかも高齢や幼少の方、さらに基礎疾患を持っている方が罹患すると一気に病状が悪化する可能性がある。日本を代表するコメディアンの死は社会に大きなインパクトを与えたのは間違いない。そして、4月7日夕方には首相が緊急事態宣言を発令し、東京を始め感染拡大がひどく悪化している地域に緊急事態宣言が発令された。政府の動きは遅きに失した感は否めないが、それでも緊急事態宣言は妥当な判断である。
新型コロナウイルスには様々な論点がある。そこで、ここでは自分の専門分野である教育に絞っていく。まず、全体的な動きであるが、教育現場は混乱しながらも最善の対応をしている。これは自画自賛をしているのではない。教職員の多くがことの重大さを認識し、全面的に取り組んでいるということである。上層部の混乱が手にとるように分かるが、教職員だけではなく、生徒及び保護者や地域も概ね共通認識のもとに動けていると思うのだ。だからこそ、もう少しタイミングが早ければ別の対応が出来たという思う場面もある。また、国が一部の地域にのみ緊急事態宣言を出したこともあり、今後の感染拡大に繋がらないかを危惧している。実際、学校は感染拡大の3つの要素、つまり密閉・密集・密接のすべての条件が揃いやすい。校種にや地域によらず一定の期間、例えば2週間を目処に始業式・入学式をずらす方法もあっただろう。今後も、状況を見ながら敏速かつ意図的で計画的な対応が求められていくことは間違いなく、厳しい教育行政・学校運営が求められている。
それにしてもこのコロナウイルスはどこから来て、どのように収束していくのだろうか。中国の武漢にある生物開発研究所によるテロだという説まで流れている。真偽はともかく、大半の人がほんの1ヶ月前にここまで世界的なパンデミックになるとは思わなかっただろう。ただ、最後に強調したいことがある。それは、経済や行事等は後に回せるが、人命は後に回せないということである。これはある会議の中で出てきた発言であるが、まったくその通りだと思っている。新型コロナウイルスが天才か人災かはともかく、私たちは長期的な視点を持ってこの機器を乗り越えなければならないのだ。”Everything that has a beginning has an end.”(始まりがあるもには必ず終わりがある)映画『Matrix -Relaoded-』の名言が胸に刺さる時世である。
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