『差別の現在』 ~高度なロジックにある繊細な他者への想像力~
日本の右翼の一部は、非常に排他・差別的で読むに耐えない言説、目を覆いたくなるようなヘイトスピーチを繰り返す。「ヤフコメは廃止すべき」で書いたように、ネット右翼は同調することでしか繋がりを確認できず、主張に妥当性もないまま最終的には感情論で終わってしまう実態を紹介した。もちろんそのような言動を「すべきではない」と啓発的に提示することも大切であるが、今回紹介する『差別の現在』では、私たちが差別に対してどのように向き合うべきかを本質から具体的な在り方までを終始深い考察でまとめている。
著者の好井裕明氏は、出版時は日本大学文理学部社会学科教授で文学博士である。『差別言論』等の著書、「差別」に関する調査、講演も多いようであるが、随所に映画・ドキュメンタリーの詳細な記述があり、その方面への知見と愛を感じる。巻末には「差別を考える映画ガイド」まであるのが、その一方で本文はやや難解である。しかし、各章における深い見識が「おわりに」で一気に回収され、まるでミステリーの謎解きの如く読者に語りかけるもうまいのである。
「差別」に対して私たちはどれほどの認識を持てているのだろうか。日常を過ごす中でここまでの洞察力を持てる自信が持てないが、筆者は強い危機感を持って、「他者を理解できるから身体作り」と「しなやかでタフな日常文化の創造」と提唱している。「差別ー被差別」という単純な図式では捉えきれない現実やカテゴリー化が永遠に浅はかな不幸を導くことになるこを論証する。「差別されるべき存在」だと「こちら側」が勝手に思ってしまう社会的な、ある種の権威に懐疑を持たなければいけないし、自分が「差別」をしてしまう可能性を十分に理解することめ必要だ。そこで他者へのどれだけ想像力を持てるか。それを日常の何気ない一コマから、当事者研究(「差別」される人々の意識を中心に研究する手法)という学術的な手法を踏まえながら、あるべき私たちの言動、「他者を理解できる身体づくり」を述べている。
新大久保で行われているヘイトスピーチやインターネット上で行われる排他的な差別的な言葉がいかに無意味でロジックが浅いのかを痛感する。例えば、「朝鮮人は帰れ!」と叫ぶことで私たちが受け継いできている彼らからも取り入れて息づいている伝統や文化を喪失するだけではなく、それを叫ぶ日本人の誇りを傷つけることにもなるだろう。また、罵倒された在日朝鮮人がそれを克服するためにどのように生きていき、克服していくるのか。その内面の強さ、弱さを感じ取れる感覚・想像力を養うことの難しさを私たちは常に持っていなければならない。高度なロジックにある繊細な他者への想像力。それが「ヘイトスピーチのある日常」から「しなやかでタフな日常」を導くことになるのだろう。
※参考文献
好井裕明、(2015・3・13)『差別の現在』平凡社新書
Recent Posts
See Allコロナ禍から約3年がたった。世界システムの負の側面が浮き上がり、様々な対策が講じられている。現在も情勢はまだ不安定で、新型コロナウイルスが様々な分野・場面で議論されている。個々では議論がされやすいが、そもそもの感染症の本質を歴史的・医学的に知識として持っておくことが必要だ。 筆者の専門は国際保険医療、及び熱帯感染症学を専門とする長崎大学教授で、本書が出版された前年にハイチ大地震、翌2011年に、東
2021年度の大学入試の小論文で最も出題の多かった著者が伊藤亜紗である。その中で最も引用されることが多いのは『「うつわ」的利他』である。そこで、再頻出の問題の全文を目に通したいと思い本書を手に取った。 著者は東京工芸大学リベラルアーツ研究教育院教授で、専門は美学、現代アートではサントリー賞を受賞しており、近年は「利他」を研究テーマにしている。本書では、「利他的合理主義」、「効率的利他主義」の疑義か
日本の社会問題の根本にあるものは「格差社会」だろう。昭和の層中流階級社会はバブル崩壊を機に長い不景気に入った。成果・能力主義や人件費の削減にによる非正規雇用が広がった。その流れの中で、AI問題(AIと人間が共存の模索)や民主主義の問題(熟議によるプロセスを重視した民主主義の見直し)がある。現在は、格差社会は教育格差、健康格差、情報格差、所得格差など細分化されて議論されている。そうした問題を改めて再