動物と生きる 〜ルンルンの思い出〜
動物と生きることが少なくなった。強いて言うならカラスくらいか。それでも、交友の中には珍しい職業に就いた方がいる。マタギや鷹匠(たかじょう)。マタギとは東北地方の独特の風習を持った狩人で、鷹匠とは鷹の調教を行う仕事だ。毎朝あの鳴き声を聴きながら通勤する身にとってはまったくもって別の世界である。ちなみに、野鳥イラストレーターの谷口高司はカラスもまたバードウォッチングには格好の相手らしい。よく観察をするとその知能の高さに驚愕することもあるという。まあ、それはともかく、動物は共に生き、幸せを運んでくれる不思議な存在だ。今回はその中の思い出深いペットの1つを紹介したい。
私が大学受験のときに、ハムスターを飼っていた。名前は「ルンルン」。呼ぶたびにハッピーな気分になれると思って名付けた。受験生は孤独だ。友達はいらない。彼女など言語道断。そんな荒んだ心を癒してくる心の癒しがルンルンだった。たまたまおりに入り込んだオリズルランの葉を食べたらおしかったらしくそれ以降はまってしまった。私が手のひらから落としたら足の骨を折ってしまい、病院にも連れて行った。悪いことをしてしまった。冬の試験直前期は、自分の部屋に放し飼いにしておいた。しばらく動き回った後、こたつのすみか、引き出しの中で眠るのが定番だ。手の上に乗せて撫でているとルンルンはいつのまにかぐっすり眠っていた。可愛かった。
受験期に、ルンルンは良き戦友だった。第一希望である大学の学部(ある意味では第二希望なのだが)の試験日の朝、「行ってくるよ」と声を掛けると私の顔をじっと見ていた。「頑張れ!」と言ってくれているのか、その気持ちはまっすぐに伝わってきた。そして見事に合格できた。実は、その受験のあとにチャレンジ校を控えていた。両親には気が緩むからすべての試験が終わるまで結果は知らせないでくれといったが、朗報はすぐに漏れてしまった。だから、ルンルンにはちゃんとその吉報を伝えた。残りは、あと1校。受かれば奇跡だ。しかし、そんな高望みをしていた試験の数日、ルンルンはかごの中で冷たくなってしまった。お別れは突然だった。
ルンルンは仕事を全うした。私が死に物狂いで努力し、1年前にはまったく歯が立たなかった大学に合格できたことを見届けてくれたのだから。それから、十数年は実家に帰るたびにお線香をあげて、いくつも夢が叶ったことを報告できた。今も天国で私を見守ってくれているのだろうか。本当にありがとう。

(ルンルンを手に乗せているところ)
※参考文献
早稲大学校友会、(2018.6) 『早稲田学報』
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