「フェアプレー」はアンフェアー?
将棋界では2015年4月に将棋のプロ棋士対パソコンソフトで盛り上がっていた。人間対パソコンの団体戦。その決着が着く大将戦で事件は起きた。持ち時間は各5時間であるにも関わらず、開始からたったの21手、49分で終わってしまったのだ。荒く言ってしまえば、プログラムの欠陥見抜いて必勝形に誘導したのである。主催者側も予想外の結末だった。さて、ここで議論が始まった。ルールに乗っ取って、勝つために手段を選ばなかった棋士の行為は、はたして妥当かどうかということである。
月日は流れて、似たような議論が再燃している。それも世界規模でだ。そう、サッカーワールドカップの日本対ポーランドの試合である。日本は他会場の試合結果に合わせて、危険犯さずに現状維持のまま負けることを選択した。後半の残り数分でイエローカード1枚をもらわなければ、負けても予選突破が出来るからである「フェアープレイポイント」で逃げ切れるのである。
観戦者は、「勝負」と「美学」の間で大きな火花が散った。どちらもルールに則っているから反則ではない。考えて欲しい。もし自分が、棋士や監督(または選手)の立場だったらどうするだろう。勝つことがすべての世界で、魅せるために勝利を捨てる賭けをするだろうか?それぞれが代表として背中に大きなファンの期待を背負いながら、瞬間的に「正しい」判断することは想像を絶する究極の二択だろう。
私はというと、当事者の言動を理解しつつ、この議論の終着点は、次の「一手」をどうするかということに尽きると思う。「課題」があるなら次に活かすルールや仕組みを考えれば良い。例えば、冒頭の将棋では、バグを発見したら自主的な報告義務する、サッカーなら選手及び監督、関係者は、ピッチ外からの情報の遮断をする、といったようにだ。理想論かどうかはともかく、議論の出発点として定義したい。感情論を超えて、組織的で建設的に問題を改善をしていく視点が必要なのではないだろうか。
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