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チョムスキーに挑む最新理論とその可能性


 理論は簡潔で汎用性が高く、さらに実用的であればなお優れているだろう。人間がどのように言語を習得するかということで一時代を築いたのが、チョムスキーの「普遍文法」である。人は生まれながらにして文法スキームを持っているというものだ。その後、様々な実証に反論すべく、その改定理論となる「原理とパラメーター」モデルを提唱した。それは、諸言語の核文法を想定し、文化等の相互作用によって表出するという理論である。その後の理論も実証的に反駁されている。

 そういった流れで新しいパラダイムが登場している。それは、認知言語学や心理学からのアプローチだ。「用法基盤モデル」と言われている。それは、子どもは生来、汎用的なツールを持っており、社会的な相互作用による経験値から独自に言語を学習するモデルである。つまり、新しい視座として、代数的規則やレキシコンを必要としない認知機能、例えばスキーマ化や習慣化、自動化といった処理機構が存在するのではないかという言説である。

 どちらも興味深く、しかしその妥当性を示すのは非常に難しい。個人的には、両者の説が脳内神経で入り混じって作動しているように感じる。だから、その明確な答えを導き出すには、歴史的な遺伝の観点から育成環境まで幅広い研究が必要になるだろう。

 ただし、そこで得られる新発見は、我々の母語の正確な獲得に大きく貢献するはずだ。また、それが第二言語習得理論に結びつくような革新的な教授モデルが開発されれば、言語教育に多大な利益をもたらすことになるだろう。どういった理論が最終定理になるか分からないが、仮説と実証の往還を繰り返すことで、私たちは言語学の大きな革命に近づくかもしない。

※参考文献

P.イボットソン/M.トマセロ、(2017)、『日経サイエンス 2017 05』「言語学の新潮流 チョムスキーを超えて 普遍文法は存在しない」


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